社長のよもやま話 その8 「天・地・人」の舞台もいよいよ会津へ!
- Date: 2009年9月 1日 09:11
- Category: 社長のよもやま話
NHK大河ドラマ「天・地・人」の舞台もいよいよ会津に移ってきました![]()
上杉藩というと、どうしても越後や米沢を思い浮かべる方が多いのですが、
私が生まれ育ったこの地 飯坂(旧信夫郡)も上杉藩の領地だった時代が結構長いのです![]()
ちょうど先週23日の大河ドラマで、
上杉景勝が豊臣秀吉によって会津に国替えを命ぜられ
120万石の大大名として赴任をしたところでしたが、
その時(1598年)から約66年間、上杉家の支配下におかれたのです。
上杉家は関が原の戦いで豊臣方に味方し敗れたので、
たった3年間で米沢に移封され30万石の小大名となってしまいましたが、
その時も旧信夫郡、伊達郡(現在の福島県北地方)は上杉藩の領地として残されました。
上杉藩は苦しくなった藩の財政を立て直す為、新田開発や灌漑事業に力を入れました。
実は、その時代に作られた灌漑用水の一つに「西根堰」というのがあるのです![]()
上堰(うわぜき)と下堰(したぜき)の二本の水路が作られたのですが、
上堰の取水口は私共旅館のすぐ近くの穴原地内にあり、
遠く伊達市梁川町五十沢地区まで続いております![]()
↑↑↑ 現在の取水口です。
開削されたのは390年も前のことなのですが、
総延長が28kmに対しその高低差はわずか49mで、日本一傾斜がゆるい堰ではとの評価が高く、
地形の関係で水が下から上に向って流れているように見える場所さえあるそうです。
途中樋を渡して堰を通したり硬い岩盤を掘って隋道を通したり、
川の下に堰をくぐらせたりと、当時としては最先端の技術を駆使して1632年に完成されました![]()
↑↑↑ 新十綱橋近辺を流れる上堰
↑↑↑ 今でも信達平野の農地に豊富な水を供給している。
地元では最近この堰を推奨土木遺産として登録してもらえるよう
土木学会に働きかけをしているようです。
私財を投じてまで西根堰を開削した上杉家の家臣、佐藤新右衛門、
そして福島郡代であった古河善兵衛の功績をたたえ、
明治になってから堰の恵みを受ける26か村から寄付を募り「西根神社」が創建されました。
↑↑↑ 佐藤新右衛門、古河善兵衛を祀っている西根神社
飯坂温泉においでになる機会があれば、
ぜひ西根神社にお出かけになり当時の偉業を偲んでみてはいかがでしょうか。
2009年9月1日 吉川屋 社長 畠 隆章




